デスマーチ前夜物語1ー垣田このは(年齢非公開)の場合ー

小説版デスマーチ「前夜物語」

これは、彼女たちの行軍前夜の物語である

 

 

垣田このは。株式会社ウォルフィ、ITサポートチームリーダー(多分もうすぐアラフォ)の場合。

 

冗談じゃない。とにかく、冗談にもならない。

垣田このは。年齢非公開だがアラサーから少し進んだところにいる、オトナ女子を自称する彼女は、ヒールの踵を鳴らしながらエレベーターからオフィスの玄関ホールへと向かって歩いていた。お気に入りのブランドロゴが入ったビジネストートを肩に、速いペースで歩く姿はスーツとヒール、長い髪と化粧とで颯爽としたキャリアのある女性に見える。そう、一見すれば、デキる女に見えるし垣田自身もそれをよく知っていた。

「お疲れ様です」

いつもの守衛が垣田に声をかけ、垣田もまた小さく笑みを浮かべて浅い会釈を返したが足は止めない。開いた自動ドアの向こう、広がる夜の冷えた空気の中へと進んでいく。歩くたびに揺れる髪に、さすがに明かりの乏しくなったオフィス街の街灯から、僅かな光が落ちては滑り落ちる。

――君のチームに人員を増やすっていう件だけど。業務決定って奴でね、うちではどうしようもないんだよ。なにせ、クライアントのご都合が全てだからさ――

先ほど耳にした言葉が頭を過ぎると、本社オフィスの先ほどまでいた会議室の匂いが鼻をかすめた気がした。あの、見た目だけは良くしたウッドパネルは表面だけを無垢の木に見せた加工品だから、あの妙な薬品なのか塗料なのかも不明な、表現のし難いなんとも嫌な匂いがする。会議室が改修されて今のなんちゃってウッド的なデザインになったのはまだ夏の頃だった気がするのだが、雨の日などはあの匂いが強く感じるような気もするから、随分としつこいものなのだなと思う。

聞いてきたばかりの上司の言葉と、笑うのか申し訳なさげにするのかを決められずに混ざったような表情と重なって、あの匂いが鼻に蘇る。

帰宅すべき方向の地下鉄に乗り一駅手前で降りた垣田は地上に出ると、繁華街に向かって歩いた。街のすみ、という表現が似合うだろう小さなサインが光る入り口から地下へと向うと、見慣れたスチールの黒い扉を開く。

「いらっしゃい」

これまた見慣れた顔にうなずき返すと、いつものようにおしぼりと灰皿だけが黒光りするカウンターに置かれる。

「ウォッカ、な気分。何か作って」

「はいよ」

短いやり取りだけで、黒ベストのバーテンダーは何もかもを承知と言わんばかりに手早くドリンクを作り始める。静かな店内のカウンターに席をとった垣田は、バッグからタバコを取り出すと白い一本に火をつけた。

白煙を吐き出した。煙を吐き出せば、少しはこの肩に乗った重荷が軽くなればいいのにと思うけれど、それはちっとも変わらない。

「どうぞ」

出てきた優美な曲線のグラスにあったのは、夕焼けのような真っ赤なカクテルで、垣田はふうん、と眺めてから口に含んだ。

甘い。

そして、飲みやすい。

「甘い」

「疲れた時には甘味じゃない。ミッドナイト・サン、どうせ忙しすぎて気がつけば夜になってた、ってところでしょう」

いい男でもないくせに、さすがに仕事柄なのか。馴染みのバーテンダーはそう言って愛嬌のあるエクボを見せた。

「認めたくはないけど、認めてあげよう」

「そりゃまた、ありがとうございます垣田マネージャー」

少し慇懃すぎるくらいにわざと言うカウンターの向こうに、疲れの混じったため息を返してから手元のグラスを見れば、そこにはバーテンダーのいう通りに今日もいつのまにか夜空に切り替わっていた太陽があった。

――人が足りない、ってねぇ、簡単に言ってくれるなよ垣田。状況はどこだっておんなじなんだよ、要は使える即戦力がいないってことだろう? いいよ、フリーターで食いつないできたようなガタイだけは一人前で成人済みの人間なら何人でも用意できる。無職まで幅を広げるなら、もっと大幅に増員できる。けどな、それじゃ教育して稼働できる一人にカウントできるまでにどんだけの労力と時間がかかるんだ、って話だよ。だからうちは新卒は採用しない。知ってるだろ? 実績があって実務経験が最低三年だな。これが最低のラインだよ。垣田のところだけじゃないんだよ、どこだっておんなじ状態だ。火を吹いてるよ、正直にいうと、早いところ即戦力のAIがさっさと実用化されてくれないかって願うくらいだ――

機械ならいくら稼働させても残業代も必要ないし労基も関係ない。

おまけに、有給なんざ取れなくても文句ひとつも言わないし、病欠も忌引に始まる冠婚葬祭も出産育児だのもない。どっかの優秀なエンジニアがそういうの、作ってくれないもんかな。できれば内輪で開発してさ。

そう疲れを苦笑いに混ぜて言った上司の言い方はともかく、言いたいことはわかった。

あれこれと要望を並べ立てるより前に、会社にとって有益になることを一つでもしてくれないか、と言いたいんだろう。

そして人が足りないのは、どこも同じだ。

「わかってるのよ、そんなことは」

空になったグラスをケーブルで低く吊るされた照明に透かしても、もうそこには夕日のかけらは見えない。

「次はどうする?」

明らかに何かあった、って書いてあるはずの顔を見ているのに、理由は聞かずに次の飲み物を聞いてくる。こちらから言えばいくらでも話を聞いてくれるけれど、言い出さなければいつまでも何も聞かない。当たり前かもしれないが、そこに仕事故の距離を感じて冷ややかなものを知ってしまう。毎度毎度、そこに家族や友人ではないんだと知らされるから、酒は進んでも垣田は全てを吐き出してしまわずに済んでいるような気がした。

「ハナさん、もう少し甘くないやつ」

「おっけー。じゃあ、さっぱり目で」

少し太りめのバーテンダーが、了解と答える間にも他の客から声が掛かる。垣田の住む駅よりも一つ離れた街にある、この小さなバーにはハナさん目当ての客が多い。もしもこれでハナさんがものすごいイケメンだったら、別の客層が増えていたかもしれないが、専らハナさん目当てにやってくるのは人生に疲弊しきった中年サラリーマンや自営業の顔ばかり。

その中に自分も混ざっているんだから、立派な中年サラリーマンの域に差し掛かっているのかもしれない。認めたくはないけれど。

火をつけた新しいタバコを指先に挟んで、まっすぐに登っていく煙を眺めた。

プロジェクトの期限はもう、迫っている。

新しいサイトを完成させて、稼動確認して、そして旧システムから切り替えて、完全に稼動し始めなきゃいけないのは、四月一日。

その期限まで、一ヶ月を切っている。

なのに。

「絶妙なタイミングでメンバーは減るわ、外注エンジニアは消えるわ、クライアントはケチで経費削減しまくるからシステムをバックアップする費用さえないところに障害が起きるわ、おまけにこの最終段階にきてデザイン変更とか、本社は人員なんざださない挙げ句にクライアントの気を損ねるなお客をハッピーにし続けろ、なんて……冗談じゃないっての。どういう奇跡を起こせばそんなのが可能になるのよ」

ここ数日で発生したありえないというか、ありえちゃいけない様々な出来事が頭を一気に巡ってきて、垣田は吸い込んだ煙を勢いよく鼻から吹き出した。フィルターが早くも短くなりつつある。

「どうぞ」

出された新しいグラスは、無色に近いマルガリータだった。さっぱりめ、なんて嘘ばっかり。でもそれは確かに、今の垣田にはちょうど良い一杯だった。

――わかってんだろ? なんとかするんだよ、それが優秀なリーダーってやつだ――

冗談じゃない。

あんたらの事情だの経営状況だのクライアンとの関係だのを全部いちいち言うことを聞いてたら、現場の人間が潰れるじゃない。

そんなの、冗談じゃない。

大事な人材なら、大事にしなさいよ。

せめて、あの子たちが睡眠と食事とを充分にとれるだけの余裕と、残業代の支払いと有給の使用を可能にしなさいよ。

わたしだってもう何年も彼氏らしい彼氏に巡り会えないんだからね、全くこんなの冗談じゃない。

従業員が人間らしい生活を持てるようにしなさいよ。

そんなこともできない会社に、―――――

潰されるなんて、冗談じゃない!

ピックに刺さったオリーブのつるりとした光沢に上司の額を連想した垣田は、ピックをつまむと勢いよくオリーブを口に放り込んだ。

グラスを一気に煽ると、塩分と共にきついアルコールが喉を滑りながらヒリつかせた。

一気にグラスを空にした垣田は、カウンター向こうに向かって声をあげた。

「ハルさん、次をお願い!」

小太りのバーテンダーが、こちらを向いた。

 

続く

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