デスマーチ前夜物語2ー後藤しほり、色々こじらせ気味女子の場合ー

後藤しほり、色々こじらせ気味女子の場合

 

 

 

――IT初心者? いいよ、平気だよ。みんな最初はそうだったんだから。大事なのはさ、コンピューターが好きでいられるかってことじゃないかなあ――

ごめんね、偉そうでしょ。

そう言って笑った先輩は、優しかったしストレスなんてどこの世界の話ですか、美味しいのそれ? っていうくらいに無関係にいつもニコニコとしていた。

先輩のことは大好きだったし、教えてもらうのも楽しかった。最初の頃にバッチファイルを流すから見てるように言われて、バッチとパッチを勘違いして先輩に「禁煙パッチを貼るんですか? ついに禁煙ですか?」なんて聞いて職場のみんなに大笑いされたこともあった。

大笑いされたけど、でもそれは嫌な笑いじゃなかった。さらりとして暖かく受け入れる雰囲気のある笑いだった。年上の先輩ばかりの職場で、一人だけ若い女の子だったからかもしれないけど、みんなが優しかったしそして厳しかった。

――失敗してもいいよ、だけどそれは絶対に同じ失敗を生まないため。失敗から学んで明日のしほりちゃんが成長しないと、今日のしほりちゃんに申し訳ないからね――

優しい先輩の言葉が、いつだって励ましだった。

ぱっと見でどうかとおもう、と眉を寄せられる後藤の派手ないわゆる職場には相応しくないとされかねない服装の趣味も、誰も何も言わなかった。どころか、食玩で面白いのあったんだよあげるよ、なんて後藤が好みそうなおまけなんかをくれたりした。

自分が受け入れられている実感があって、そうして毎日が楽しかった。

仕事って、こんなに楽しい場所なんだって思った。プロジェクトや大変な仕事もあるけど、一区切りしたら集まって居酒屋に行ったりした。ワイワイと騒いで上司のモノマネしたりして。飲みすぎて過去の黒歴史を語り始める女子の先輩とかもいたし、でもそれも全部が楽しかった。騒ぎすぎたらタイミングよく上司が現れたりして。なんだか職場の仲間が、一つの家族のようだった。

それが、後藤しほりが最初に知った「職場」だった。

少しは恋愛と呼べることもあったし、友達もいた。会社の近くにはお気に入りのカフェもあったし、残業だって仲間が一緒なら辛いとは思わなかった。

「楽しかったなあ。先輩、何してるんだろう今頃」

一年があっという間に過ぎて、二度目の春がきて、そして大好きだった先輩が転職して行った。誰もが知るグローバル企業への転職は誰の目にも素晴らしいチャンスだったし、それだけ先輩が仕事もできて人となりも優れていることの証明のようでもあった。

――頑張れよ、だけど無理はしちゃダメだよ――

ありがとうございます、先輩も頑張ってください。

そう言えたような気はする。多分。ただもう、胸の中が何かに押しつぶされそうに苦しかったことだけははっきりと覚えている。

そうして先輩が去って、他の仲間たちも少しずつ顔ぶれが変わって、そうして会社脳経営方針の変更だの社長の交代だのといった変化に乗って後藤にも転職を考える時期が来てしまった。辞めるときはもう、楽しかった一年目のメンバーはほぼいなくなっていて、同僚ともあまり会話をすることもなかったからだろうか。送別会も何もなく、静かに後藤は会社を去った。

会社の忘年会で撮った記念写真が、たった一枚だけ残る記憶になってしまった今でも、後藤はあの頃の記憶を大事にしていた。なんであの一年が特別に輝いて見えるほどに楽しかったのか、なんて考えることも不毛だろう。

人に恵まれるって、ああいうことを言うんだろうなあ。

ただ、そのことだけはよくわかった。同じ場所、同じ時間、同じ会社、同じ仕事。違ったのは、そこにいた人だけだった。それでも、一年目の日々と二年目のそれは全く違っていた。そして同じITだからと言う理由で転職した先の会社では、出向した先の職場でひどい鬱になった。

締め切り、期限、期限、期限、期限、トラブル、障害、期限、期限、期限、怒る客、動かないアプリ、期限、期限、期限、期限。追い詰められた後藤は、パニックに陥った。モニターを掴んで、そのまま働いていたオフィスの窓へと投げつけたのだった。

――いやああああああああッ!

後藤の目には、打ち込んだコードが命を得たかのように動き出し、モニターから這い出して来るように見えていた。

押さえつけられて、その後で何がどうなったのかは、知らない。

気がついたら病院にいたし、休職扱いになっていた。通院と投薬で精神的に持ち直して、ようやく後藤が株式会社ウォルフィのITサポートで働けるようになったのは、結局のところ一年も後のことだった。リーダーを始め、チームは全員が女性のサポートチーム。客先であるウォルフィに常駐し、IT系の問題に対応するのが仕事。

けれど、ウォルフィのチームには最初の職場にあったような空気があった。後藤を否定しない、面白がることはあっても何処かの誰かの常識と基準を持ち込んで後藤を判断することは、ない場所だった。

忙しくても、それは久しぶりに得た呼吸のできる職場だった。

「スプリングセールでーす。ただいま30パーセントオフになっておりまーす」

若いバイトの子が声を張り上げている。後藤は、その高い声にぼんやりと顔をあげて、ようやく手の中のコーヒーが温かみも感じられなくなっていることに気づいた。

プラスチックのあの、飲みにくい口のついたテイクアウト用の蓋はまだ、閉じられているのに中身は冷え切ってしまった。

オフィス街にある、ショッピングエリアの真ん中で後藤はベンチに腰掛けていた。本物なのかどうなのかわからないが、本物っぽく見える大理石らしい床に視線を投げれば、行き交うヒールの足や革靴が見える。まだ寒いけれど、ブーツの姿はもうあまり見ない。

プログラマーになんか、なりたくもなかった。

幼稚園の頃に画用紙に書いた夢は、ケーキ屋さんだった。

オフィス街の喧騒には子供の声は混ざらない。夢を唄う子供の声は、ここにはない。

「どうしよう、かなあ」

選択肢はないんだって、わかってるのに心は定まらない。

プロジェクトの期限は迫っている、そしてクライアントは此の期に及んで仕様変更を言い出した。頼みの外注は逃亡したし、他に動ける人間はいない。

けれど――――――

後藤の脳裏には、命を得た生き物のように動き出すコードたちが過ぎる。モニターの中から這い出してくるやつらが、キーボードの上で動けないでいる自分の手に降りて、そうして自由にさせろを言わんばかりに、のったりのったりと――

「……諦められたら、楽なのであろうな……」

冷めきったコーヒーを、一口だけすすった。季節を先取りしすぎたOLが、薄手コートをまとった肩を寄せるようにして、目の前を通り過ぎていった。

 

続く

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