デスマーチ前夜物語3ー市山真由美、引きずり系女子の場合ー

 

市山真由美、引きずり系女子の場合

 

 

メールを受信して、内容に目を通してスマホを視界から離した。受け取った文字の一つ一つは一応は目に入っていたけれど、出来ることなら頭の中から消去するか保留にしておきたいものだった。

人間の既読機能も”メールは未読のままにする”設定に変更できたら、いいのにな。

「もしくは、ctrl + zで見なかったことにする、とか」

あいにくと、そんな便利な機能は生身の人間には備わってはいない。自宅のソファに座り込んで、まだ濡れたままの頭からかぶったタオルに手をやった。小さなキッチンから電子ケトルが音を立てて、市山は再び立ち上がった。透明なフィルムを破り、お召し上がり直前に、と書かれた小さなパウチを取り出して沸騰したばかりのお湯を注いだ。

スマホでセットした三分間を待つ間に、髪をふいてドライヤーを手にする。そう広くもないワンルームの中は移動する苦労もなく必要なものが手に取れる。

三分間を知らせるアラームが鳴った。生乾きのままで、市山がアラームを止めようとスマホを手にして、そしてメールアプリのアイコンがまた目に入った。

――ジューンブライドがいいって言うからさ。雨に当たっちゃうかもしれないけど六月に決めようかなって思って――

笑顔がそのまま文字から浮かんできそうな、明るさに満ち溢れた文字が並んでいた。

結婚。

その言葉を聞くときの市山は、もっと違う心境になるはずだった。あの日々が続いていたら、きっと。

人生で最高に幸せな瞬間を迎えていたのは、市山だったはずだった。

少なくとも、そう思った時期はあった。

「……」

ふん、と鼻で笑って割り箸を割った。

さっき帰宅したばかりなのに、部屋の時計はもう午後十時を過ぎていた。

半年前までは、彼氏という生き物が身の回りにいた。学生時代からの付き合いで、多分お互いの兄弟姉妹より細かな性格だとか生活の癖なんかを知り尽くした相手だった。付き合って三年目くらいからデートらしいデートや、わざとらしい記念日だののお祝いをしなくなった代わりに、お互いがお互いを必要としている実感の方が空気みたいなものになっていた。

将来の話なんて具体的なものはでなかったけれど、それは言葉にする必然なんてないくらいに、当たり前のことだった。

――もしもなんかとんでもないことが起きて別れたとしてもさ、俺らってなんかずっと家族みたいにつながってる感じがするよな――

そう。

まさしく、あいつは家族みたいなもんだった。

だから。いなくなるなんてことがあるなんて、思いもしなかった。きっと何でもないようなタイミングで籍だけでも入れるか、って話になってそうしてお互いの両親を交えた時点で籍だけなんてとんでもないとかアレコレと言われて結局は、ごくごくフツーの、当たり前の常識的な式と披露宴をする羽目になるんだろう。

それが、あるべき未来の姿だった。

はずだった。少なくとも、半年前までの市山にとっては。

ずずっ、ずーっ、

麺をすすりながら、微妙に伸びた髪が鼻先にかかって耳にかける。繰り返すその動作が煩わしさのピークに達するまで、繰り返してしまう自分がいるから、いつまでも進歩がないんだなあ、と遅い夕食を口にしながらぼんやりと思った。視界の中にテレビのリモコンがあるけれど、点けたところで気分が晴れないのもまたよく知っていた。

頭の芯から疲れ切っていて、モニターと呼べる画面をしばらく見たくない。

ちゅる、と麺を口に入れきって、ソファに背中を持たれた。目を開ければ何も代わり映えのない天井と照明が見える。

――仕事、つらいんだろう? だったら、辞めればいいじゃん――

――勝手なこと言わないでよ、次が決まってないのに簡単に辞められるわけがないじゃん。今のポジションより楽なとこなんて、給料も下がるしいいことないんだよ――

――わかるけど、帰るのが十時とかって流石にブラックだろう。体を壊すぞ、いつか――

――わかるって言うけど、わかってないよ、全然。帰るのが十時を過ぎるのなんかは偶にじゃない。早い時は七時には帰れるし、他の職場でもっとひどい話はよく聞くけど。それにウォルフィはまだマシなんだよ、サポートする相手がクライアント企業の社員って限られてるから。これでソフトウェア会社のサポートとか通販会社のとかになったら、不特定多数の一般人が相手じゃない。自宅警備員とか暇つぶしにクレーマーやってる主婦とかがかけてくるんだよ。そんなのもう、想像するのも嫌だ。絶対に心が折れる。毎日ポキポキ折れるんだから。わかったようなことを言わないでって――

――わかったよ、言いたいことはわかったって。なんだよ、心配してるだけだろ――

毎日毎日、そんな小さくてなんの足しにもならないような喧嘩を繰り返した日々が、三ヶ月ほど続いた。イライラしてた。

ユーザーは馬鹿な要求ばっかりしてくるし、電気が通ってりゃITだと思ってる人もいるし。クライアントの担当者は無理難題ばかりいいつけてくる。どんなに笑顔で頑張っても、誰も感謝すらしない、システムが問題なく動いているのが当たり前で、そのためにどれだけこちらが消耗しようと誰もサポートの人間が存在してることに何かを思うことはない。小さなストレスはチリのように少しずつ積もっていって、リラックスしてストレスを消すはずの週末には喧嘩ばかりで、おかげでストレスは減るよりも増える方が多くなっていって、そうしてすぐに月曜日がやってきて。

顔をあわせるのも煩わしくなりつつあったある日、彼氏だった男はよく知る他人に変わった。

あんなに何年も付き合って知り尽くした相手だったのに、終わりはあっさりとしたものだった。

なんだったんだろう、あの最悪のスパイラルは。

良いことが何一つ起こらなくて、全てが悪い方向にばかり周りの全てを巻き込みながら肥大化してゆく。竜巻のような、あの最悪の全ては。

――仕事なんだから、当たり前だろう――

クライアント側の担当者、山田がよくそう言う。

そんなことは、知っている。

知ってるから、誰にも感謝されないと知りながら明日も通勤電車に向かっていくんだ。

給料分の労働力を提供する、ただそれだけのために、ときめきのカケラも見出せないあの電車に乗ってゆくんだ。

ずずっ、

「あー、飲んじゃった」

塩分が多いのになあ。

飲み干してしまったラーメンのスープが喉を滑り落ちてゆく。

元彼からのメールには、返すべき言葉が何も思いつかない。いつかのふざけたような会話を実践しようとしているんだろうか。だとしたら、あいつは恐ろしく何も変わってないってことになる。

別れても友達だなんて、どういう神経よ。

本気で「そうできるよ、私達なら」なんて思ってたとでも思ってんの?

どんな顔をしてご祝儀を持って披露宴に顔を出せって?

おめでとうなんて、言えって?

冗談じゃない。

そんなことができるほど、大人でもできた女でもない。

どうせならこっちと別れた直後に知り合った女と交際半年足らずで結婚を決めようなんて、頭が沸いてんじゃないの、って聞きたいわ。

言っても虚しく響くだけだから言わないけど。だけどこのまま返信をしなかったら、あいつのことだから余計なカンを働かせてもしかして気分を悪くさせたか、仕事がうまくいってないのか、などとまた余計なメールを送ってきかねない。

放っておいてくれたらいいのに、その辺の面倒見の良さはあの頃から変わらないからタチが悪い。

見上げた天井の寒々しい暗さからは、六月の花嫁は想像することもできなくて、市山は深く息を吐き出した。

空が、遠かった。

つづく

舞台「デスマーチ」公演特設サイトはこちら→

劇団新和座

 

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