デスマーチ前夜物語4ー花崎かおり、結婚とか気になる系アラサー女子の場合

 

 

花崎かおり、結婚とか気になる系アラサー女子の場合。

 

 

 

電話を切った。大した内容ではなかった会話だけれど、通話を終えた途端にそれまでには感じなかった静けさが耳にやってきて、同時に寒さを感じた。カレンダーは二月の末、まだまだ冬のうちにあって、花崎を囲む部屋の空気はどこか寒さが感じられる。一人暮らしの女の子らしいと言われることの多いインテリアに彩られた部屋にあるエアコンは、動いているのにもかかわらず完璧な暖かさはくれない。

温度計を見れば、きっと部屋の温度は20度を超えていて暖かいと呼べる温度になっているのだろう。確かに肌に感じる室温だけに集中すれば、そこに寒さや冷たさを感じることはない。花崎はたった今途絶えた会話が、まだそこに微かでも残っていることを願うかのように音の消えた携帯に目を落とした。

手の中にあるスマホの液晶は黒いだけで、そこにはもう人の声があるような気配はない。花崎は肘を寄せて、二の腕までさすった。

やっぱり、なんだか寒い。

彼と話しているときは、むしろ暖かいくらいだったのに。

――ごめん、友達と一緒なんだよ今夜は。また電話するから――

そう言った声の後ろには、賑やかな夜の街らしき雑音が聞こえていた。大学時代の友達なのか同じ業界の友達なのかは知らないけれど、彼には友達が多い。

「ふーうん、仕方ないよね」

トモダチは大事、そう。ネットでそういえば見たんだった。友達や仕事仲間との付き合いを大事にする男の人を尊重して笑顔で送り出すのが、できた奥さんや彼女なんだって。

わかる、けど。

わかるけど、さあ。

「九月のウェディングまでに決めなきゃいけないこと、いっぱいあるんだよー」

ありとあらゆるページに挟み込まれた付箋のおかげで、一回り大きくなったような結婚情報誌を開きながら花崎は座り込んでいたラグの上から立ち上がった。

結婚は九月に決めた、決めたけれどそれだけじゃ終わりじゃない。式の場所は、披露宴は、二次会は、幹事は、式のお花は、ドレスは、食事は、それからそれから……

「あーもう、何にも決まってないっていうのに!」

スケジュール帳にはウエディングコーディネーターに言われた内容がびっしりと書き込まれているが、そのどこにも済んだことを示すマークは見られない。まずは式場を決めなきゃいけないのに、花崎と彼女の婚約者はそれぞれに忙しい。婚約者の方は週末はなんとか休みが取れているが、花崎の方はトラブル対応だなんだかんだと週末まで様々な仕事が食い込んでくる始末であるから、ウエディングフェアなんぞにも中々行くことができないでいる。

色々なことを決めるにも、二人揃って……だよね。

――お二人で行われる最初の決め事なんですよ、ウェディングって。様々な決め事から準備、そして当日に至るまでの全てですね。式の当日にケーキにナイフを入れるところで、ようやくお披露目できるための共同作業が完成するって思ってください――

そうウエディングコーディネーターににこやかに言われた言葉が、脳裏に蘇る。どちらか一人が決めたのでは当日になって、もしくはもっと先の未来で結婚式のことを思い出として話すときに、自分だけが仕事をしたというしこりが残るのも良くない。反対に、パートナーは関わらせてもらえなかった、という思いを抱いているかもしれない。

どんなに忙しくても、結婚式のことはお二人で決めてください。

そう言われたのだった。その場に彼も、いた。二人でコーディネーターの言葉に頷き、帰りに寄った居酒屋では何月になったらこうして、何月になったらこうして、などと話をしたのだった。ドレスはどんなのにするか、なんて。

そんな他愛もなく話をしていたはずだった。

はず、だった。

ここしばらく、彼とは連絡があまり取れない。忙しいみたいでメールもラインも、既読スルーになったまま朝になってしまうことだって、珍しくなくなった。

なんでだろう、別に喧嘩をしているわけでもないのに。

「……はーぁぁ」

ため息が、出た。長く。深く。開きかけていた書き込みと付箋のおかげで肥大化した結婚情報誌を投げ出すと、花崎はスマホを取り上げた。呼び出した番号を選択して、そうして息をついた。

ほぼため息だらけで構成されたそれは、ちっとも気分を楽にはしてくれないのに。

RRRRR RRRRR RRRRR

『はいはーい』

懐かしい声に、少し頬が緩む。

「今、ヒマあるー?」

『どしたー、なんかあったって感じだね』

「うん、それがさあ……」

古くからの友達は、いつでもそこにいてくれる。その声に少し気持ちを緩めながら、花崎はキッチンに向かった。食器棚の代わりに使っているシェルフから、色違いのマグカップの一つを手にとって、電気ケトルに水を入れる。カチリと小さな音が湯沸かしを律儀に始めたことを知らせて、花崎は肩に挟んだスマホを手のうちに戻した。

『それってさー、マリッジブルーってやつじゃないの?』

「マリッジブルー?」

『そう。男性のあれって、女子のよりもキツいらしいって聞いたよ、どっかで』

「ええー、そうなの」

『そー、なんだっけ。独身時代の生活から180度変わっちゃうこととか、そういう変化に恐怖を感じるとかー……なんかそういうのじゃない? 男子の方がメンタル弱いって聞くし』

「そういうものなの? でも全然、なんていうか平気な感じだったよ」

『わかんないよー。かおりの彼なんて写真でしか知らないしー。会わせる会わせるって中々タイミングが合わなかったでしょ。まあもうどうせ結婚式で会うからいっかあと思うけど。ていうかさ、もー、そういうことをシングルの私に聞くんじゃないよー。ここ何年も彼氏なんていないんだからねー。結婚が決まって、いいことじゃん。不安になることもわかるけど、あんまり気にすることなんてないんじゃない?』

友達の声が、明るい。

冷たかった水が暖かく熱を得て、そして湯が沸く音が少しずつ大きくなってゆく。

色違いのカップは、もう一週間も同じ場所から動いていない。

今頃、その持ち主はどこで誰と何をしているのだろう。

結婚するって決めた後でも、こんなに遠く感じるものなんだろうか。それが普通なんだろうか。

『ちょっと、聞いてる? あり得ないよね、何さまだっての、あのバカ課長』

友人の声が、マリッジブルーの話から職場の愚痴へと話題を移してゆくのを聞きながら、花崎は自分のカップに紅茶のパックと湯を注いだ。

「うん、聞いてる。うちの客先担当者もひどいよ。酒さんっていうんだけどね」

『酒ー? どういうこと? どういう名前よそれー。仕事中から飲んでんの?』

「ううん飲んではないんだけど、名前がさあ、」

友人の仕事の愚痴に合わせてこちらも愚痴をこぼしながら、それでも結婚と彼という逃げ道を確保できた自分は幸せだと思った。逃げ道、と思ってしまった自分を心の中で申し訳なく思いながら、同時にそれが事実だとも知っていた。

ウォルフィに来る前に配属された開発部署にいた頃のことは、思い出すことすらも嫌だった。上司のセクハラとパワハラがひどくて、体はあらゆる箇所が異常を訴えた。仕事が続けられないくらいにひどくなって、どうしようもなくなった花崎の前に現れたのが今の彼氏だ。

彼と出会ったおかげで、自分は救われた。

世の中からセクハラやパワハラがなくなったわけじゃないし、あの元上司が改心して良い人になったかというとそれもないだろう。人はそうそう変わらないし、もしかしたらどこかで誰かがあの頃の自分と同じように被害にあっているかもしれないけれど、見も知らない他人の身を助ける為に公に訴え出るようなことはしなかった。できなかったんじゃなく、しなかった。

そんな余裕も花崎の中にはなかったからだ。

彼と一緒にいて初めて、ちゃんと呼吸ができた。だから。

この幸せを手放したくない。そして私は随分と、幸せなはずなんだ。

はずなんだ。

『世の中のばか上司って連中をひとまとめにして東京湾に沈めてやりたいわー』

視界の隅でちらつく青いマグカップを、少し恨めしく思いながら花崎は笑った。

淹れた紅茶は少し、苦かった。

 

 

続く

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