デスマーチ 男たちの後日物語

苛立っていた。

訳もなく胃のあたりがムカムカとして、気がつけば電車の窓に映る自分の顔には暗い影ができていた。特に眉間のあたり、あの縦に入ってしまう線はよろしくない。それに加えて、寝不足のせいか目の下にはクマらしきものさえ見える。

光線の加減だろうか。

自宅の洗面台でみた顔よりも、太陽の光を強く浴びる今の方が不健康に見えていた。

冗談じゃない。

胸の内でそう、頭をもたげてきそうになる焦りとも後悔とも怒りとも判別のつかないどろどろとした感情にくさびを打って、山田は目の前で開いた扉からホームへとおりた。

最高級ではないにしろ、相応に上質のスーツに身を包み手にした鞄にはゼロが片手で数えられるよりも一つ多いくらいの価値がつく書類がある。

俺はもう、新しい成功を手に入れているんだ。

何を迷う必要がある。

ない、何もない。

全ては終わり、そして始まったんだ。

敗者は姿を消し、残ったのは勝者だ。

そして俺は、残っている。

平日の昼間らしく外回りの会社員たちが行き交う駅を抜けて、胸の中にそう言葉を落としながら、数ヶ月前に新しく手に入れたIDカードをゲートにかざして山田はオフィスビルヘと入ってゆく。

別の社名、別の社章、別の業態、別の上司。

あの事件で無茶苦茶にされた全てをくだらないものだと一掃した山田は、こうして新たな場所を自らの手で手に入れていた。しかもただ追われた訳ではない。

「お疲れ様です、山田主任」

「ああ。その書類は」

「前期の営業資料なんです。繁忙期前に整理しておこうと思って。資料室に移してもよろしいですか?」

にこやかに声をかけてきたのは、部下の一人だった。軽く片手を上げて返事とした山田はすれ違った部下をちらりと振り返って納得する自分を感じていた。この部下は女性にしては比較的に気が利く上に、余計なでしゃばりをせずに控えるべきところをわきまえている。

合格点だ。それ以上でも以下でもいけない。

仕事をする上で大事なのは分をわきまえること、つまり自分の役割を認識した上で上司の、会社の動向に見合うよう率先して動くということだ。それができないなら、組織に存在する意味はない。さらに組織の中で上へ行きたいなら、ただ会社の動向に自分を合わせるだけでは足りない。

「あ、専務。お疲れ様です。クロススタッフィングの方ですが、」

ちょうど自らのオフィスに戻ってきたところらしい専務を見つけた山田は、にこやかに駆け寄る。社名と山田の明るい顔を見た専務は、その先に吉報があるらしいと判じたのか、機嫌も良さげに山田を自らのオフィスへと促した。

一人分にしては広すぎる、オフィスの個室である。

「ほう、契約を無事に更新させたかね。しかも三割減で」

「はい、専務の掲げられた目標どおりに」

「いいね、さすがだ。我が社のコストカット目標にこれは大きく貢献したよ。これは私からも社長によく伝えておこう」

「ありがとうございます!」

「ところで君、いろんな店に詳しいと言っていたが……」

「は、どのような子がお好みか教えていただければ、すぐに」

「はっ、は、いやいや、そういう意味じゃなくてだね、ん、まあうん。そうか。じゃあ……」

山田は脳内にあるメモ帳に、しっかりと上層部についての必要な情報を書き込んでいた。

 

 

午後7時、定時からは少し過ぎたものの退勤準備だのを考えればほぼ定時退社と変わらない時刻にも、残業のない人々の姿は駅に向かっていた。残業こそが美徳とされてきたこの社会においても、常に例外と呼ばれる人々は存在するのが不思議なものだった。

その大きな人の流れに関わることなく、人が行き交うところから数メートルの距離を開けて道沿いに立っているグレーのスーツを着た男がいた。

人の裏側を見透かすような目つきはどこか感情を見せない暗さをたたえているせいだろうか、一方向に向かって動く大きな魚の群のような人々からは距離を置いたその男は、世界の流れも動きも無関係で相入れない別のものであるかのように見えた。

改札に向かう群と同じようなスーツを着ているにもかかわらず、その男だけは異質な存在だった。

陽が傾く、あやふやな時間帯の中で、男は歩き出すと群れの中にいた一人に声をかけた。

「山田さん。山田、錦さんですね」

声をかけた相手は一瞬、呼ばれたことに気がついていないようすで、二度目に名前を読んだ後にようやく男の存在に気がついた。

「え、はい。何か」

誰だ、お前は。

そう言いたげな視線を受けて、男は胸元のポケットから一枚の名刺を差し出した。

「元神奈川県警の白鶴と言います。株式会社ウォルフィと、今年の春に発生したとある事件についてお話を伺いたいんですが」

男が、白鶴と名乗った男が差し出した白い紙片が、群れの中の一人を止めた。

フリーランスである笹錦は、自宅兼作業場で数時間ぶりに立ち上がって背伸びをしたところだった。

「うわー、肩がガッチガチだー」

少し張り切り過ぎてしまったかもしれない。今現在、笹が請け負っている仕事の締め切りは確かにさほど先の話ではないけれど、今日の進み具合であれば明日いちにちくらいは休憩しても許されるくらいだった。

睡眠不足もいい加減にしないと体に悪いし、何しろこの座りっぱなしの作業姿勢が良くないって聞いた。エコノミー症候群になるのも嫌だし、いい加減に少し休んでもいいかもしれない。

「コーヒーを飲んで、シャワーを浴びたら夕飯をなんか買いに行こかなー」

進み具合がいいときは、気分も軽い。

笹はとっくに空になっていたマグカップを手にキッチンへと向かおうとした、そのときだった。

RRRRR RRRRR

「ん?」

電話が、鳴った。まず最初に予想したのは、現在進行系で仕事を受けているクライアントではないか、ということ。次に予想できたのは時々仕事で一緒になってしまうITサポートチームの誰かではないか、ということだった。

どっちにしろ何かの問い合わせだったり、打ち合わせの内容をすり合わせるだとか、細かい調整ごとだろうと思われるのだが、ごくごく稀にとんでもない要求が飛びこんできたりもするから、油断はできない。

RRRRR RRRRR

笹は鳴り続けるスマホの液晶を覗き込んだのだが、そこに表示されていたのはあまりにも意外な名前だった。

――山田錦

「えっ、って、え? 山田課長?」

何だろう、何でいきなりこの人から電話がかかってくるんだ?

嫌な記憶と嫌な予感しかしない相手からの電話に、笹は先ほどまでの軽かった気持ちが一気に重量級へと変化していた。

この通話に出るか、でまいか。

躊躇してい間に、呼び出し音は切れてしまった。申し訳ないことをしたな、とどこかで小さく思いながらも、正直に言って気分は軽くなる。

なにせ、相手は山田錦だ。

株式会社ウォルフィのIT部門の保守管理とかの課長だった人物。フリーランスで働く笹にとってはクライアントである開発会社の顧客、つまりは仕事の客の客に当たる立場で接点があった相手だ。だが、奴は単なる嫌な客の一人ではない。

それ以上に最悪な相手である。

あのガツガツとした存在感、まさしく弱肉強食のビジネス世界でとことん弱者を蹴落とし強者を利用してのし上がる、典型的なティラノサウルスである。周りからも本人も自他共に認める草食系である笹などは、山田錦にとっては簡単に踏み潰せる雑草くらいにしか思われていないに違いない。

現に、何度か仕事で関わっていた間も本名で山田から呼ばれたこともないし、直接に呼び出しを受けたこともない。ただ連絡がこないとも限らない範疇の相手だから、一応は連絡先を登録しておいてね、とクライアントである開発会社のプロジェクトコーディネーターに言われただけだ。

なのに、なぜ今になって山田から連絡を受けるのだろう。

「……あんまり、考えたくないなあ」

あの事件の後は、確か山田は株式会社ウォルフィを辞めたと聞いている。

何があったかは知らないが、実のところどういう事情であれ積極的に関わりたいと思う相手ではない。

あっ、でももしかしたら。

「新しい会社でウェブデザイナーが必要になって、僕に依頼……とか」

だったら、まあ、気分は悪くない。

もしかすると、今までに出してきたデザインをあれでも気に入っていて記憶してくれていた、とか。

ああ、だったら突然に電話がきたこともわかる気がする。

「そっか、山田課長っては僕のデザインを気に入ってたのかあー」

そう思うと、電話に出なかったのは惜しい気がした。けれど、スマホは今まだ沈黙したままだ。

「うん、コーヒーを淹れてから掛け直そう」

そうしよう。

かかってきたのをすぐにかけ直すのって、なんかほら、他にすることがないみたいだし。ってどっかのネット情報で見た気がするし。

静かになったスマホを一瞥した笹は、気を取り直してキッチンに向かった。暖かいコーヒーを淹れなおして口をつけようとした時だった。

RRRRR RRRRR

電話が、再び鳴り始めた。

「うえー、今すぐにかけ直すのになあ。よっぽど急ぎの案件なのかな」

だとしたら、いくら頼まれても引き受けるのは考えものだぞ。

今抱えている案件の締め切りを頭に描く必要もなく、さらに追加で急ぎの案件となると厳しい。厳しいうえに、クライアントがあの山田となると……正直に言って、やりたくない。

ああでも、ギャラがすっごくよかったら考えものかもなあ。

どうしようかなあ。

そんなことを胸のうちに思いながら、笹は通話アイコンに触れた。

「あっ、はい。笹です」

『俺だ、ウォルフィで担当課長だった山田だ』

「あっ、はい。わかります。その節はお世話になり」

お世話になりました、といささか形式張った挨拶をしようとした笹だったのだが、それは最後まで言い終わる前に遮られた。

『お前、一体なにを喋ってくれたんだ!』

遮ったのは、山田の怒号だった。

「……え、え?」

てっきり、こちらの機嫌とスケジュールを伺う低姿勢な反応を期待していた笹は、飛び込んできた怒号に面食らった。

『神奈川県警の、元刑事ってやつにだ。一体なにを喋ったんだ。随分とペラペラと話したらしいな』

神奈川県警の、元刑事。

そう言われて、笹はようやく思い当たった人物がいた:

「あ、ああ! えーっと、黄桜、じゃなくて大関、じゃなくて、えっと……」

『白鶴だ、白鶴!』

「そ、そうそう! そうです、その人です……が、どうかしたんですか」

『どうもこうもない。いきなり来て、事件のことを話せと言い出したんだ。お前がベラベラとあれこれ話したってこともな! 言え、なにを話した!』

「ち、ちょっと待ってくださいって、えっ、僕はそんな、なにも……」

『なにもじゃないだろうが。だったらなんで元刑事なんて人間がわざわざ俺のところへ来てお前の名前を出すんだよ!』

「そ、そんなことを言われても……」

困った。

そういえば、事件から二ヶ月くらい過ぎた頃にあの白鶴って元刑事に色々と聞かれたんだった。

山田のところへもあの元刑事が行ったのか。

『俺に関してなにをどう喋ったのか、洗いざらい言え。万が一に嘘を混ぜてみろ、一瞬でお前の仕事が吹き飛ぶからな』

「そんな」

『――世の中は、コネと情報戦だ。お前まだ以前と同じ開発会社から仕事を受けているだろう。連中にとっちゃ俺は元クライアントさまだ。クライアントとしてベンダーに一度でも関わった俺が、何のネタも掴まずに退くわけがないだろう』

これは、脅しだ。

「そんな……わ、わかりました、え、っと僕が話したのは……」

山田の恫喝にも近いその言葉に、笹は手にしていたコーヒーの温かいはずの温度を妙に冷ややかに感じていた。

 

 

ボサノバが緩やかに、かすかに流れを作るカフェは床のタイルから全てが白いインテリアで統一されていた。シンプルなラインの家具類に、天井から床までを覆う一面ガラスの壁から昼時の明るい太陽光が注ぎ込む。白に透明なガラス。光沢も艶やかな鏡面テーブルには、まるで本物の鏡のように全てが正反対に映り込んでいた。

「お待たせして、すみませんね」

ランチどきにもかかわらず混み合うことのない白く静かな店内に、不釣り合いなほどに黒い色を纏った男が入ってくると、窓際の席にいた山田は顰めていた眉を緩めて微笑んだ。

「いえ、時間通りですよ、元刑事さん」

「そうですか。てっきり私の方が待つかと思って来たんですが」

「はは、時間厳守は当たり前ですからね、私どものような仕事では」

「ほう、なるほど。ああ、コーヒーを」

後から来た白鶴からウェイトレスがオーダーを聞き取り去ってゆくと、奇妙な沈黙が残された。先に来ていた山田の前にはまだ温かいコーヒーがあり、山田はゆっくりとカップを口に持ってゆく。

言わんとする言葉が雨粒になりきる前の蒸気のように空間を圧迫して、ひどく窮屈で居心地の悪い場所にさせていた。

「どうぞごゆっくり」

カチャリ、続いた沈黙は白鶴の前に置かれたコーヒーカップとソーサーの立てた小さな音で終わった。カップを手にした白鶴が、ふうん、と感心したように天井を見上げた。

床の幅よりも天井の方が狭いこの店は、ちょうど斜めに傾斜をとってガラス壁が床までを覆っている。見上げれば、そこには天気の良い晴れた空が見えるのだった。

「気持ちの良い空間ですね、実に。床も内装も食器までが真っ白だ。陽の光も反射して実に眩しいほどに純白だ」

「そうですか、お気に召したようで」

「あなたは、気に入らないようですね」

「は、私が? なぜ」

「先ほどから、非常に苛立ってますよね。この空間を面会場所に選びながら、とても満足しているようには見えない。私の読みは、これでも間違ったことがないんですよ――刑事時代からね」

余裕を見せる笑みをたたえて白鶴がそう言うと、コーヒーをうまそうに飲んだ。

「失礼を承知で言いますが……私が苛立っているのは元刑事さん、あなたに対してですよ。これでも忙しい体でしてね、ランチタイムとは言え仕事は山積みなんです。刑事を辞めてフリージャーナリストなんて自由を謳歌するあなたにはご理解いただけないかもしれませんが」

「お、これは厳しい一本ですね。否定はしません。いやあ、私にはどうも組織に生きるという生き方は合いませんでね、解放された今となっては実に気楽なものです。あなたも本当はそう思ってるんじゃないですか、山田さん」

「私? いえ、欠けらも思ったことはないですね」

笑いながら、山田はちらりと腕の時計を見た。

午後12時30分。

1時には取締役会の結果が出るはずだった。

専務は推してくれているが、最終的には取締役全員の意見が全てを決める。

期間は短いが、山田はこの会社で成績を出した。

営業部長、その座が欲しい。

ここでもう一つ、ポジションを上がりたい。

「一つ伺いたかったんですが」

「なんでしょう」

腕時計に視線を落としたままで応えた山田の耳に、白鶴の言葉が投げつけられてくる。

「楽しいですか? 組織という大階段を一歩一歩、それも同じように登っているはずの他人から業績を奪い蹴落としながら登ってゆくのは」

にこやかに尋ねた白鶴を見返して、山田は残りのコーヒーを飲み干そうとしていた手を止めた。

「人聞きが悪いですね。そんな薄情なことをしでかした記憶はありませんが」

「そうですか、いや。勘違いであればいいんですよ。てっきり、私はあなたが彼女たちの、――”あの事件”の根幹に関わっているのではないかと考えていましたから」

あの、事件。

見返すが、白鶴と名乗る元刑事は微笑んでいるような顔を保っているくせに、よく見れば目の奥では何を考えているのかさっぱり読み取れない。

わかるのは、ひどく冷ややかな何かがこちらを見つめているということだけだ。

しばしの沈黙の後で山田が口を開いた。

「……何を、言わせたいんですか」

その問いを受けた白鶴は上着の内ポケットから一枚の、四つ折りになった紙を取り出して見せた。

「ここにあの日、届かなかった一本のメールがあります。これをどうするかは、私次第なんですよ、山田さん。——真実を、語ってください。あなたの口から、真実を」

真白に近い空間で、太陽光を浴びるこの清純なる明るさに満ちたこの場所で、漆黒を纏う男の口から出た言葉は、やはり冷えた響きを帯びていた。

山田が手にしてたコーヒーカップには、まだひとくち分のコーヒーが残されている。

ボサノバはもう、聞こえない。

 

 

デスマーチ 男たちの後日物語 終わり

本編「デスマーチ-ITサポ戦線、離脱不可-」2017年2月10日より上演 チケット及び公演の詳細は新和座特設ページへ

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